phobbies’s journal

読書好きです。深い思考が欲しいです。考えをまとめたいです。

【小説】コインロッカー・ベイビーズ 村上 龍

出版会社に勤めている人に、この本おもしろいよって言われてこの本を読み始めた。率直な感想をまずいうと、めちゃめちゃ面白かった。高校生にとっては、多少過激な表現や難しい言い回しはあったけれど、次から次へとどんどん読み進めたくなる本だった。

とにかく、キクとハシがすごいかっこよかった。今回は、キクとハシの価値観を自分のに照らし合わせながら、心に残ったシーンを書いていきたいと思う。

 

「愛するものがないから無気力でいる」というハシの言葉にはとても惹かれたし、自分もそのような状態に陥ることがある。僕はたまに「僕は家族を愛しているのだろうか」「趣味を愛しているのだろうか」「本当に愛しているものなどあるのだろうか」という思考に陥ってしまう時がある。そんな時は何事にもやる気が起きない。ハシの境遇を考えたら、僕の悩みななんてちっぽけなものだけれど、それでも繋がる部分はあると思う。人間の愛する力というのはとてつもなく大きく、僕たちに大きな影響を与えているのかもしれない。

 

ミスターDが話していた「無関心戦争」について、僕は面白い表現だなと思った。人間は、自分がその物事に対してどれだけ無関心かということを示して、よく分からない意地を張っている。無関心であるということを示す行為が、逆に関心があるということの表れだということに何故気付かないのだろうか。子供がそれをするのはわかるが、大人になってもそのようなくだらないことをしている人がいる。そんな大人にはなりたくない。

 

ハシがダンボールの中にいる死んだ赤ん坊に対して「弱虫め、僕は、生き返ったんだぞ」という場面は印象的だった。これは特に深い意味もなく、ただただ感動した場面だ。(この感動を言語化しようとしたけど、難しかった。ぜひ読んで感じてほしい)

 

「自分の欲しいものがわかってないやつは石になればいいんだ。・・・欲しいものが何かわかってないやつは、欲しいものを手に入れることができないだろう?」というハシの言葉が胸に刺さった。自分が何を求めているのか、何をやりたいのかを模索している時にこの本を読んだ。だから、とても印象に残ったのだと思う。確かに、自分が欲しいものが分からなければ、欲しいものは手に入らない。でも、いろいろなことを調べて、経験した結果、欲しいものが見つからなかったらどうすればいいのだろうか。ハシが言うように石になるしかないのだろうか?(笑)僕は最近そのような不安を感じているのだと思う。みんなはいつかは本当にやりたいことは見つかるというが、もしみつからなっかたらどうなるのだろう。そのまま無気力に生きていくしかないのだろうか。まあそれもやってみないとわからないから、これからもいろいろなこと触れていくのだろうけど、本当にやりたいことが見つかるまではこの不安はぬぐえない気がする。。

 

最後は、キクが言っていた「俺たちはコインロッカー・ベイビーズだ」というセリフ。このシーンはカッケェの一言。今までの物語がここに凝縮されている感じがする。「俺たちは」と複数形にして、ハシも含めている表現が本当に好き。いつまでも兄弟なんだなと思わせる。

 

ここまでコインロッカー・ベイビーズの中で印象的だった場面をつらつらと書いてきたが、こう振り返ってみると、僕はキクよりもハシに心を動かされていたのだとわかる。キクは肉体的で、ハシは精神的だ。僕ももしかしたら、肉体的なことよりも精神的なことの方が関心があるのかもしれないと思った。このような気づきもあった。